マラソン経験ゼロからウルトラマラソンと佐渡国際トライアスロンを完走するまでの話

LIFE

「今年こそはサブスリーを達成したい!」

「走るだけじゃ物足りない!トライアスロンて面白そう!」

「100キロ走ったって言えたらマウントとれそうだな」(←相手が困るだけw)

学生時代は持久走が嫌いでマラソンなんて走るもんかと思っていた僕が社会人になり、いつしかこんな感情を抱くようになっていました。

こんにちは!SUUUZY BLOGを運営していますスージー(@suuuzy_tutor)です!

こちらの記事では、僕のこれまでのマラソン・トライアスロンライフについてご紹介したいと思います!

※単なる自分語りなので予めご了承ください。

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マラソン、トライアスロン完走歴

スージー
スージー

まずはじめに、僕のこれまでの主なレース回数/自己ベストをご紹介します!

1500m5回/4分56秒50
5000m(駅伝含む)5回/18分4秒
10km5回/38分47秒
ハーフマラソン10回/1時間22分21秒
フルマラソン6回/2時間58分49秒
ウルトラマラソン1回/13時間26分11秒
オリンピックディスタンス
(トライアスロン)
2回/2時間26分45秒
ミドルディスタンス
(トライアスロン)
1回/5時間28分49秒
ロングディスタンス
(トライアスロン)
1回/13時間50分58秒
その他
(7km、30km、
スパルタンレースなど)
それぞれ複数回

※決して速くはないです。ごくごく平凡な一般市民ランナーの記録としてご覧ください。

ちなみに2020年2月のレースを最後に、コロナ禍となってしまったことや子育て最優先モードになったことから、戦線離脱しています。

またいつか必ず復活して、憧れの東京マラソンとかホノルルマラソンも走ってみたいな~。

初のフルマラソン完走。生きてる感じを味わう。

スージー
スージー

続いて、マラソン未経験からフルマラソン完走までの道のりをご紹介します!

ちょっとそこまで?!走ることがキツすぎた

社会人1年目のある日の仕事中、30個ほど上の大先輩(保健体育科の先生)から「ちょっとそこまで巡回がてら走り行こか」と誘われました。

勤務時間も終わる夕方頃、新米の僕は二つ返事でついて行くことにします。

仕事にも疲れていたので、気分転換にもなるからたまにはありかなと、走り始めのうちはそう思っていました。

「○○橋(知らない所)まで行って、そこで折り返してこよう」

そうとも聞いていた自分の耳を疑ったのは、10分、20分経ってからのことです。

雑談をしながらの時間はあっという間でしたが、なかなか折り返し地点までたどり着きません。

嫌な予感がしてきましたが、この方は保健体育科の先生。フルマラソンを何度も経験されていました。

やっとの思いで折り返したのは、走り出して30分以上も経ってから。

帰りはまた同じ道を走るのかと、考えただけで気が遠くなりました。

もともと運動は好きなほうでしたが、高3から約5年間まともに運動をしてこなかったお腹周りは、なかなかカワイイ感じになっていた23歳。

ようやく職場に戻ってきたときの足はふらっふら。。その一方で、大先輩は清々しい笑顔を見せていました。

こんなにも体力が落ちたものかと、なんだか自分が情けなくなりました。

ハーフマラソンデビュー!

翌日、その大先輩から「これに一緒に出よか」と、あるチラシを渡されます。

それはハーフマラソンの大会案内でした。

マラソンなんて走るもんか。学生の頃からずっとそう誓っていたのもあり、一瞬迷った自分がそこにいました。

しかし、お世話になりすぎていた大先輩からのお誘いを断れる訳もなく、その場ですぐに大会にエントリーすることになります。

「まだ体力があった学生の頃の自分を取り戻す」という目標をムリヤリ設定し、それをモチベーションに冬の寒い中、夜な夜な練習を始めました。

3月に開催までの約5ヶ月間、週に~4回、30分~1時間くらいのジョギングを繰り返したでしょうか。

回数をこなすにつれてだんだんと体の動かし方、走り方を思い出し、気が付けば走るのが楽しくなっていきました。

迎えた大会当日、だいぶ走ってこれたかな~とそこそこの自信とワクワク感をもって会場入り。

そこでまず驚いたのは、大会参加者の多さとマラソンガチ勢によるウォーミングアップ風景でした。

これほどまでに老若男女、ビギナーから上級者までたくさんの人が取り組めるスポーツ、大会イベントがあるんだな~と。

そんな感覚のままスタートブロックに移動して、スタートの合図を待ちます。

「いちについて、、、パン!!」

いよいよスタート、、?!?!したけど、なかなか前が進みません。

少しずつ前進し、2分ぐらい経ってからようやくスタートラインを切りました。笑

流れてからはだいたい練習通り?同じくらいのペースの人をマークして、しばらく引っ張ってもらいます。

後半15キロ地点くらいから、キツくてだいぶ失速はありましたが、最後までなんとか完走することができました。

初ハーフのタイムは1時間38分。速くはないけど、そこまで悪くもなかったみたいです。

完走したとき、疲れよりも嬉しさと、同時にものすごく気持ちのいい汗を流した感じがしました。

完走した達成感、練習のときからの充実感がなんてたまらないものかと。

スポーツはそのときまで、勝ち負けはっきり決まるものしか知りませんでした。

しかしこのマラソンはとの戦いであり、ここまで追い込んだことがなかったのが自分にとっては新鮮でした。

そんなマラソンの魅力にどっぷりハマるきっかけとなった大会となりました。

とんとん拍子でフルデビューも、膝がオワル。。

初ハーフの大会終了後、一緒に出た大先輩が銭湯と焼肉に連れて行ってくれました。

そのとき「ようやく”半分”まできたね。これを”もう一本いけたらマラソン選手”だよ」などと、訳の分からないことを言っていました。

その方曰く、”ハーフマラソン”は”マラソン”ではないようです。

「来年はマラソンに出るぞ」とこのとき誘われた僕は、ハーフ完走で自信をつけたのも(お酒に酔った勢い)もあり、フルマラソン出場を約束するのでした。

とはいえ、フルマラソンの大会日はそこから約1年後の冬。

まだまだ先だと思い、しばらくランシューを履くことはありませんでした。

何より、春夏と暑い時期にとても走る気になんてならなかったのです。

涼しくなってきた9月も終わる頃、大会約4ヶ月前となってからようやく、そろそろ調整しなくてはと久しぶりにランシューを履いて外に飛び出しました。

ん?なんだこの足は、、?!

頭では昨年のハーフマラソンの感覚でいましたが、体は走り方をすっかり忘れ、まったく動けなくなっていたのです。

これはまずいと焦りはしましたが、目標はフルマラソン”完走”だったので、少しずつ調子を取り戻していくことにします。

このときした練習が、約4ヶ月間、週に3~4回、1時間くらいのジョギングでした。

フルマラソンの長さにも慣れておくため、大会1ヶ月前には30キロ走も1本走りました。

迎えた大会当日、そこでまた前回大会を上回る参加者の多さと、大会規模の大きさに驚きます。

出店もたくさんあって、フェスみたい!などとスタート前に緊張感はまったくなく、お祭りのような感覚でいました。

いちおうのゴール設定は4時間切り、キロ5分半ペースで刻んでいけば達成できる計算もありました。

スタートして前半、快調に走りだした僕はキロ5分ちょっと、やや速すぎる感じもしましたが、アドレナリンがそれを感じさせません。

ちなみにこのときはスマホを携帯して、ランニングアプリでペースを確認しながら走っていました。

たくさんのランナーたちで隊列をなして走るのが、なんだかとても気持ちいい。

給水所でのフルーツやチョコをありがたくゲットしながら、順調に進むこと2時間弱。あっという間に中間点を通過します。

よっし!残り半分!完走はもちろん、4時間切りもイケるかも!そんなことを考える余裕さえありました。

しかし27キロ地点、ここで突然足が止まりました。

あれ?足が動かない。。どんどん抜かされていく。。

30キロ地点では膝が痛くなってきました。

くそ~っ。なんでここで痛くなるんだよ~。。

前半で自分の力以上のペースで走ってしまっていたのが、ここで響いてきました。

『30キロの壁』なんて言葉があったのも思い出しました。

この先は未知の領域。走りながら心のどこかで限界を迎えてしまっていたのでしょう。

35キロ地点。何とか痛みを堪えながら走っていましたが大大大失速。。

このあたりで目標の4時間は経過してしまっていたかと思います。

鉛のように重たい足。自分の足じゃないみたい。残りのあと数キロがとてつもなく長く感じました。

完全に勢いはなくなり、ついには歩いてしまいます。もうダメだ。。。

交通規制も解除され、赤信号では止まるように警備の人から注意されてしまいます。笑

もはやタイムなんてどうでもよかったんだけど、そのとき沿道から一人、ちびっこが近づいてきてこちらに手を差し伸べてくれました。

「おにいさん頑張って!」と、アメ玉を一つくれました。

その少年の行動に驚くも嬉しくて、感極まって涙があふれてきました。

もらったアメ玉がどれだけ美味しくて、力になったことか。

再び走り出すパワーまでみなぎってきました。少年よ、元気をありがとう!!

最後はヘロヘロになりながらもゴール。タイムは4時間41分27秒。

初マラソンは両膝がボロボロで歩いてしまったけど、いちおう完走はできました。

終わった後の温泉とビールは格別でした。

これまでで一番気持ちのいい温泉と、最高に体に染み渡るビールを味わいました。

初のフルマラソンで、真の”マラソン”の奥深さを感じ、魅力もさらに深まりました。

それと同時に、沿道のあたたかさや途中から歩いた悔しさなど、いろんな感情が残る大会となりました。

リベンジのフルマラソン!

翌年、同じフルマラソンにリベンジすることを決意します。

次こそは歩かずに完走する!

前回大会の反省点は、前半に自分の力以上にとばしすぎてしまったこと、そして何より、秋になるまで練習をしなかったことです。

これらの反省を踏まえ、この年は春夏も30分ほどのジョギングを定期的にするようになります。

すると秋以降、涼しくなってからの練習がとても楽に感じました。

嘘みたいに無限に走れそうな感覚になります。

月間の走行距離は春夏で50キロ、秋以降は150~200キロくらいまでになりました。

ある程度の距離を積んで挑んだリベンジマッチ。

スピードはありませんでしたが、脚作りは順調だったこともあり、記録は3時間56分59秒。

後半の失速も想定内に抑えることができ、4時間切りを達成することに!、、なったと思ったのですが、この記録はネットタイムというスタートラインを越えてからのものだというのです。

なんだそりゃ?!公式記録は4時間1分17秒。笑

またも4時間切りはならず、確かな手ごたえを感じつつも、またも悔しさの残る大会となりました。

中距離の魅力!そしてサブスリー達成!

スージー
スージー

続いて、僕のタイムが飛躍的に向上した練習や取り組みをご紹介します!

ガーミンを付けるだけで速くなる?!

もっともっと速くなりたい!

学生の頃は考えられなかったマラソンへの熱意。

このときマラソン好きのある同僚から、ランニングウォッチなるものを教えてもらうことになります。

「ピロリン♪」「ピピーピピー♪」マラソン中、他のランナーから聞こえてきたアレかと。笑

僕が初めて買ったランニングウォッチは『Garmin fore Athlete 230J』でした。

これがまた非常に優れもので、アプリと連携して様々なランニングデータの分析や記録管理をすることができるのです。

ランニング仲間のアクティビティ記録なんかもタイムラインに流れてきて、まるでランナーのためのSNSみたい。

これは飽きないし、走るのが楽しくなるな~!

何より、もうスマホを持って走らなくていいんだ!笑

ただ手首に機械を巻き付けるだけで、走ることに対するモチベーションが200倍くらいアップしたのでした。

中距離だって面白い!

どうしたら速くなるのか、それを知るためには速い人に聞くのが一番早い。

同じ職場に陸上競技部の顧問として、たまたま準エリートランナー(めっちゃ速い)として現役でバリバリ走っている方が新しく赴任しました。

学校の先生にはいろんな分野のプロがいるものです。これはラッキー!

その先生によると、「1000mをいかに速く走れるか」が大事だというのです。

自分の1キロの限界スピードを上げれば上げるほど、距離に応じて走るペースを調整することが出来るとのこと。

その先生に誘われて、5000mのタイムトライアルに出ました。

10キロのレースにも出たり、5キロ×4人の駅伝レースなど、いろんな大会にも出ました。

これまでジョギングしかしてこなかった自分にとって、短い距離をより速いペースで駆けることはマラソン以上にキツかった。

この1000mを速く走る練習を取り入れたことで、徐々にスピードがついていきます。

また、テレビ中継されるようなマラソントップランナーのキロ3分切りペース、箱根ランナーのキロ2分50秒ペースがいかにすごいことかを思い知りました。

とてもじゃないけど、1キロもついていけない。笑

そしてこの年、人生3度目のフルマラソンで3時間26分45秒、サブ3.5を達成しました。

次なる目標はサブスリー。市民ランナーの中でステータスとされる記録を目指すことになります。

泳いで、自転車こいで、最後に走って、、

雑誌やネットでランニングについて調べていると、トライアスロンの情報を目にしました。

『スイム×バイク×ラン』

誰でもできるけど、なかなか手を伸ばすことのない究極の連続三種。

ちょうどこのとき、走るだけじゃ物足りないなと、追い込むことに快感を覚える変態にまでなっていました。笑

”トライアスリート”って響きもカッコいいなと、そんな気持ちからトライアスロンにも挑戦してみることになります。

最後のランは普段からやってるし、バイクも毎日の通勤でやってるし、問題は最初のスイムだけかな。

泳ぐのは体育の授業以来、やったことがありませんでした。

久しぶりの市民プールでは、25m泳ぐだけでゼェゼェ。。ハァハァ。。

体は沈むし、長い距離を泳げるようになるまでのイメージがまったくできませんでした。

しかし、これもマラソンのときと一緒で、はじめは走れないところからのスタート。

継続すれば何とかなるとポジティブに、普段の練習にスイムを加えるようになっていきます。

のちにこの練習がプラスにもなり、マイナスにもなってしまいました。

インターバル走てなに?!誰でも必ず速くなれる究極のメニュー

マラソン練習がジョギングや1000m走しか知らなかった僕が、ランニング仲間たちとの陸上競技場での練習会に参加するようになります。

そこで行われていたのが、1000m×3本のインターバル走。

またある日行われたのが、300m×10本のショートインターバル走。

週に1度でしたが当時の僕にとって酸欠で頭痛になるほど高強度で、質の高い練習でした。

他にもペース走、レペ走、LSDはじめ、いろいろな練習メニューを教わり、ますます走ることが楽しくなりました。

僕自身、学生時代はソフトテニス部に入っていましたが、サーブ練、レシーブ練、フォーメーション、その他いろんな練習があって初めて試合が成り立ちます。

走るのも同じで、練習にバリエーションを持たせ、総合的にマラソン力を鍛えることが速くなるためには必要なんだと、このとき初めて勉強させてもらいました。

祝!ついにサブスリー達成!!

いろんな練習によりパワーアップして挑んだ4度目のフルマラソン。このとき27歳でした。

この頃は週の練習メニューは確立し、食事にも多少気を遣っていました。

月:オフ、火:ジョグ、水:ポイント練習、木:ジョグ、金:オフ、土:長めのジョグ、日:スイムみたいな感じ。

タバタ式トレーニングなんかも積極的に取り入れていました。

大会1ヶ月前からは風邪を引かないように気を付けたり、1週間前からは体内の水分量まで気にしたり、だいぶ神経質になっていたと思います。笑

迎えた大会当日、初めての緊張感も味わい、前の日はなかなか寝付けませんでした。

3時間切りが目標だったので、レース計画は前半キロ4分10秒、後半落ちても4分20秒のほぼほぼイーブンペース。

前半に突っ込んで、後半に大失速するのが怖かったのと、トライアスロンの練習で後半には自信があったのでこの戦略で行くことにしました。

スタートは前のほうのブロックではありましたが、スタートラインを越えるまでに20秒。

だいぶ大きなロスだと感じましたが、1キロあたり0.5秒くらいかと、焦らず冷静に受け止めます。

レースは計画通り序盤はとにかく抑えて、余計なことは考えずに同じペースの人について行きました。

このペースになると給水にかける時間がもったいなく感じますが、5キロごとにはきちんとスポーツドリンクを口に含むようにしました。

補給には労力をかけたくないので、ポケットにはあらかじめ用意したゼリーを仕込んでおきます。

5キロごとのラップタイムはずっと20分56秒~21分24秒。

『30キロの壁』を越えてからも、大きくペースを落とすことはありません。

我ながら速くなったな~と、ちょっとだけ感心する余裕もありました。

最後の5キロのラップタイムも21分57秒。上出来すぎました。

ゴール前に見えた時計が2時間59分をまわったところで勝利を確信。記録は2時間59分23秒でした。

見事にサブスリー達成!やったぜ!

記録証をもらった瞬間はかなり嬉しかったです。

一部の市民ランナーの方々は、この記録証をもらうためだけに日々の練習に取り組んでいると思います。笑

学生時代に誰かに嫌々やらされて成し遂げることと、社会人になってから自分で好きで取り組んで成し遂げることの達成感や充実感はまったく比べ物になりません。

サブスリーは確か、市民ランナーの中では上位3パーセントだったかな。

この日の銭湯とビールは、また格別で最高だった~。

フルマラソンの向こう側

スージー
スージー

最後に、サブスリー達成後の次なる目標と挑戦したことをご紹介します!

自己ベストを次々に更新するも

サブスリーを達成した翌年の2019年。

今度はサブエガ、2時間50分切りという市民ランナー界では一目置かれるような記録を目指すことにしました。

エガっていうのは江頭2:50からきているそうです。

冒頭でご紹介した各レースの自己ベストはほとんどこの年に出したもので、レースに出る度にベストを更新するという成長が分かりやすく感じられる最高に楽しい時期でした。

(趣味レベルですが)ノリノリだったこのとき、サブエガを成し遂げるにあたっていくつか壁にもぶちあたりました。

①トライアスロンのスイム練によって上半身が重たくなってしまっていた。

②サブスリー達成時のメニューが体力的にも時間的にも限界かなと思ってしまっていた。

③ウルトラマラソン(後述)によって足底腱膜炎になってしまった。

スイム練による上半身の筋肉は、走ることだけを考えたら必要のない単なる重りでしかありません。

「泳げるようにもなりたいけど、速く走れるようにもなりたい。」

欲張りな感情が、その両立を難しくさせていました。そのバランスを考えながら練習するのがトライアスロンの醍醐味でもあるのですが。

結果としてこの年、フルマラソンの自己ベストこそ更新しましたが、サブエガ達成とまではいきませんでした。

『ウルトラランナー』柴又100K完走

2019年5月。距離の限界にも挑戦してみたいという思いから、「柴又100K」という100kmウルトラマラソンに参戦しました。

しっかり完走したので、詳しくはまた別記事にまとめたいと思います。

『アストロマン』佐渡国際トライアスロン完走

2019年9月。トライアスロンを始めるきっかけとなった雑誌の記事にあった「佐渡国際トライアスロン大会」にも参戦しました。

スイム4000m、バイク190km、ラン42.2kmの合計236km。

こちらも完走したので、詳しくはまた別記事にまとめたいと思います。

さいごに

冒頭でも述べましたが2020年にコロナ禍となり、大会が開催されなくなってしまったことやプライベートな事情から現在は戦線離脱しています。

さいごに単なる自分語りのまとめとして、これまでのマラソンライフ、特にトライアスロンを通じて感じたことを一つだけあげたいなと思います。

それは「トライアスロン(マラソン)と仕事に必要なことは同じ」ということです。

なぜやるかはただの自己満になりますがw、目標を決めて、必要なことを考えて、やることを決めて、時間を生み出して実行するの繰り返しは、どちらにも共通する成功するために必要なスキルだと思います。

比較的何かを成し遂げることが好きな僕にとっては、この次から次へとステップアップしていく感じが楽しくて仕方ありませんでした。

競技としての楽しさ(苦しさ?)はもちろん、いろんな経験をすることができる素敵な趣味として、ひとにもオススメしていきたいものです。

以上、スージー(@suuuzy_tutor)でした!

本記事について、ご質問・その他何かありましたら、気軽にご連絡いただけたら嬉しいです!

最後までお付き合いいただき、本当に感謝いたします。ありがとうございました!

このSUUUZY BLOGが少しでもあなたを救い、人生の一助となれば幸いです。

この記事を書いた人
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都立高教諭▶オンライン教育支援×マイクロ法人|『学ぶ』と『教える』を支えたい|91年茨城生まれ|小・中高(数)教員免許所有|一世代はやく家族の終活・相続を経験|投資が趣味(投資歴8年)|全世界株・国内高配当株・米株高配当ETF・J-REIT|2024.1~FI(RE)して、移住先探し中の一児のパパ

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